有難うね、お母さん
d0090294_665675.jpg私の母が12月18日(日)10時09分 
心筋梗塞でこの世から去りました。享年65歳。

「氷がダイヤモンド」とよく口にしていた母。
私からの手紙が大好きだった母。
本当に有難う。






前日は得意のきんぴら牛蒡を大量に作り姉からマフラーを貰ったのが凄く嬉しかったと、いたって普通の生活だったようです。翌日、自分のベッドで母がテレビを付けたのが7時半。これは父が目撃していて、8時に見た時には呼吸がしていなく姉が脈を測ったもの動いていなかったそう。その後、救急隊員を呼び、その間は兄が蘇生をし、救急車で病院に運ばれる最中も、その後も蘇生はされたけど結局、心臓の鼓動は戻りませんでした。

私が生まれる前から糖尿病で私が生まれる時は、子を助けたいなら母は助からない、母が助かりたいなら子は諦める、といった生死のかかった出産でした。結果、母も私も助かりました。糖尿病は年月と共に悪化していくばかりで、あちこち手術をしたり入退院は何回も。8年前には透析も始まりました。その時は「持って5年」と言われていたけど5年もゆうゆうに越え、いつでも死を逃れてきた母。とは言え、体は繋ぎ合わせて持っているようなもので、あちこち痛みがあったり、食事制限はもちろん、最後には大好きだった水も飲む量が制限されました。それでも電話越しに「お母さんは大丈夫だよ。いつでも死を逃れてるから。お父さんも良くしてくれるし、お父さんと出会って幸せだよ。」「今は透析の時間に浪曲を聞くのが楽しみでね。」とよく言ってたな。私が想像する以上に大変な体だったのに話す度に私の方が励まされていたな。親ってそんなものなんだろうな。2ヶ月前、私達が日本へ思い切って行った時は喜んでくれて逆に日本を去ってから孫が恋しいようで12月3日には孫が恋しい・寂しいな、スカイプがしたいな、と電話がありました。母が息を引き取る4日前には兄が結婚前提で同棲を始めると決意した事や、長年折が合わなかった姉が色々と良くしてくれる、と嬉しそうに電話してきました。母は自分で人生のピリオドを打つのを決めたかの様に亡くなっていきました。日曜日、家族皆がいる時、いつも寝ていた彼女のベッドで苦しまず、一瞬で息を引き取った母。私の中で寂しさや後悔は溢れるばかりで思い出が悲しみとなってしまう時期。でも母がもう苦しまなくて良いのが1番の救い。

おつやは21日、葬儀・告別式は22日。ギリギリまで悩んだ結果、私は葬儀には参列せず来年家族全員で日本を訪問する事にしました。母も家族からも以前から言われていました「状況が状況なので参列しなくても良いよ」と。実の母親の葬儀に参加しないなんて、と思う方もいるかもしれないけど私の下した結果。折が合わなかったとは言え姉は、いつも母の面倒を見ていてくれて最期のお化粧もとっても上手にしてくれました。スカイプしながら見た母は本当に安らかで笑っているようで今までで一番綺麗だった。最後に顔を見たらやっぱり安心しました。今まで有難う。母は私の中にいつまでも居ます。「氷がダイヤモンド」そう言っていた母。水で湿らせた布で口元をポンポンとして姉が水を飲ませていました。良かったね、お母さん。
長年連れ添った父のこれからの生活が気がかりです。どうか神様、哀れみ・癒しがありますように。急遽仕事をキャンセルしてくれて一緒に居てくれた旦那様、知らせを聞いてすぐに来てくれたリーッカ、友達からの哀れみ励ましの言葉も有難う。
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by Kippis_Y | 2011-12-20 06:07 | ちょっとお知らせ/info


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